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梅田氏のインタビュー記事の前半を読んでみたけど、この問題意識は佐藤俊樹が1996年に出版した「ノイマンの夢・近代の欲望」で言ってたことと変わらない。

……インターネットのコミュニティはかなり古典的な啓蒙主義の立場に立っている。一種の技術啓蒙主義とでもいおうか。そもそもなにもわからなければ運営に参加しようがない。すべての参加者の自発的なコスト負担が求められるのも、暗黙のうちに「誰でも真面目に学習すれば、コンピュータやネットワークについてのある程度の知識が身につく」と考えているからこそである。その背後には「誰もがコンピュータやネットワークの知識をもつべきである」という価値観があるし、啓蒙主義のつねとして、「その種の知識をもっている人間はもっていない人間よりもえらい」という差別意識もどこかにかくれているだろう。
もう一つ、インターネットの重要な特徴として、個人はかならず実名で登場する。…… 匿名での発言はそれ自体が重大なルール違反とされる。……
……
こうした「ヴォランティアのコミュニティ」というインターネットの姿を、二一世紀の未来社会の先駆けとして見る人も多い。とりわけ日本人には、全員の自発的参加を理念にかかげるコミュニティは新鮮に映るようだ。けれども、実は、これはアメリカ社会にとって、さらには近代社会にとって、むしろ先祖返りなのである。つまり、近代のもっとも正統的な姿なのだ。( 佐藤俊樹,『ノイマンの夢・近代の欲望―情報化社会を解体する』,講談社選書メチエ, 1996, p223-224)
したがって、そのコミュニティの姿に二一世紀の未来社会を見るとすれば、それはすなわち、近代のもっとも原型的な姿に未来の理想像を求めていることにほかならない。私たち日本人がインターネットのコミュニティに憧れているとしたら、私たちは近代的な〈個人〉の社会に憧れているのだ!
……
つまり、情報通信ネットワークとしてのインターネットとコミュニティとしてのインターネットの間に、もともと内在的な関連はないのである。ネットワークの技術的特性がコミュニティをつくりだしたわけではない。両者は全く別物なのだ。私たちがインターネットのコミュニティに理想像を求めているとしたら、それは情報技術がそうさせているのではない。私たち自身がそういう方向に社会を変えたいと望んでいるのである。( 佐藤俊樹,『ノイマンの夢・近代の欲望―情報化社会を解体する』,講談社選書メチエ, 1996, p226-227)
インターネットのコミュニティとは、正確にいえば、近代産業社会の基本的なしくみの上に咲いた「楽園」であり、あくまでも近代産業社会に「寄生」した先祖返りなのである。……
…… 少数の特殊な人の組織だったからこそ、インターネットはすぐれたコミュニティでありえたのである。( 佐藤俊樹,『ノイマンの夢・近代の欲望―情報化社会を解体する』,講談社選書メチエ, 1996, p229-230)

後半のインタビュー記事も読んでみたけど、やはり梅田氏は近代社会の夢をインターネット上に未だに見ている人なんだな、と。そう思うこと自体を否定する気はないけれど、この構図が分からない人からすると単なるエリーティズムの発露にしか見えないのではないだろうか。